
初共演時(98年)のライヴ盤からこぼれたシューマン、後の2曲は2016年パリでの録音セッション。音質に違いはあるが、二人が刺激し合いながら、新鮮な喜びをもって豊かな音楽世界を作り上げていくのは同じ。特に、ニュアンス豊かなピアノに乗ってヴァイオリンが歌うバッハは必聴。

パールマン久々の新録音。しかもフォーレもR.シュトラウスも初の正規録音だ。アックスとのデュオも初めてか。近年多用のポルタメントも影を潜め、オーソドックスで緻密。アックスのピアノが雄弁で、パールマンとのコラボレーションが素晴らしい。久しぶりにパールマンの名演が聴けて良かった。★

なんとも豪華な顔ぶれでの18世紀作品の数々。70年と80年の録音だ。古楽演奏に慣れた耳にも違和感のない、清潔な歌いまわしなど端正で味わい深い仕上がり。シカゴ響の首席オーボエだったスティルの名演、パールマンと盟友ズーカーマンら弦楽器の芳醇な音色など、聴きどころ満載。

ともにイスラエル出身で渡米して名声を高めた二人の名手。その音色とワザの妙にとっぷりと浸る。硬軟陰陽いくらか肌理は異なるものの、もとより対峙のタチではない響きの質の違いがむしろしなやかに和して絡み合い、近現代の多様な音色書法に孕む多彩な表情をさりげなく引き出して魅せる。選曲が渋い。

艶やかな音色で伸びやかに歌い上げるヴァイオリンを、豪放で力強いチェロがガッチリと支える。ロストロポーヴィチが巧い。だからパールマンが生きるのだ。ソリスト二人が対抗するだけではブラームスにならない。ハイティンクが分厚く渋いオケでブラームス晩年特有の響きを創り出す。これは素晴らしい演奏だ。

ヴァイオリンでジョプリンのラグを弾くのは珍しいことではないが、パールマンが弾くと特別な世界が広がる。余興的な“無理に笑顔を作る”ような表現ではなく、すっかりなじんでいるがクラシカルな超絶技巧と表現手法は崩していない。プレヴィンの伴奏もジャズ・プレイヤーとしての片鱗をうかがわせ絶妙。

タイトル通り、2本のヴァイオリン(ヘンデルの第2パートはヴィオラ)のための作品集。二人は録音当時30歳前後、まさに上り坂にあった名手たちによる丁々発止の演奏。美音をたっぷりと鳴らすスタイルで、ゆえに名技性に満ちたヴィエニャフスキとシュポアが聴きごたえ十分。

名匠ハイフェッツが自ら編曲も手がけて愛奏した小品たちは、独特の味わいを持ち、何とも表情豊か。もちろん彼を敬愛するというパールマンが肩の力を抜いてニュアンス豊かな演奏をしているからではあるけれど、二つの偉大な才能が微笑んでいるような雰囲気が魅力的だ。

パールマンとバレンボイムは長年の共演仲間だが、実はかなり音楽性が異なる。艶やかな音色と柔軟なフレージングのヴァイオリンに対し、直線的に音楽を組み立てる指揮者。その対比が、この演奏のおもしろさ。それにしてもパールマンは何て巧いんだろう。

ヴァイオリンは凄まじいまでに甘美な楽器ともなりうる。そんな事実を文字通り体現する演奏家がパールマンだ。思わずメロディに引き込まれる映画音楽の一編や、晴れやかでリラックスさせられるクラシック・ナンバーを集めたこの小品集は、そんな彼の魅力の本質に迫る。

全曲録音からポピュラーな2曲を組み合わせたもの。「クロイツェル」はパールマンの練り上げられた美音と、アシュケナージの丁寧なピアノとが効果的にからみあい、重量感のあるドラマティックな音楽が組み上げられている。「スプリング」も同様のことがいえる。

S.サンダースのピアノと共に繰り広げられるパールマンの小品集。馴染みの曲が多いというのも魅力だが、パールマンのヴァイオリンが実にのびのびと躍動感を持って奏でられている点がやはり聴き所だろう。“音楽”とは歌うことなんだと痛感させられる。

パールマンのサポートを受けてのDGデビュー盤。鋭利な音質や演奏の思い切りのよさにやや荒さや若さを認めることも可能だが、フレーズを弾き分ける語彙や感性の豊富さや、緩急やデュナーミクをセンシティヴに操る歌い口の魅力は、新たな個性的才能として注目に価する。

パールマンの交響曲デビュー。祝祭的な雰囲気を持つ「ジュピター」はぴったりだったかもしれない。パールマンの歌心をベルリン・フィルの面々がちゃんと理解して“再生”していく楽しさ。弾き振りによる協奏曲も、いつもながらの艶やかで伸びやかな音楽。

比較的音色の明るいパールマンとアシュケナージが組んで非常に良く歌っているから、時としてブラームスにしては饒舌かと思うこともある。しかし、両者の音楽性の高さからみればそれは非常に贅沢な悩みと言わねばならないだろう。

S.サンダースのピアノと共に繰り広げられるパールマンの小品集。馴染みの曲が多いというのも魅力だが、パールマンのヴァイオリンが実にのびのびと躍動感を持って奏でられている点がやはり聴き所だろう。“音楽”とは歌うことなんだと痛感させられる。

パールマン/レヴァインのモーツァルトvn協奏曲全集第2作。同一世代でしかも風貌も似ている2人だが、パールマンのともかく美しい音とレヴァインのすっきりした棒さばきがモーツァルトの魅力を引き出し、演奏スタイルも見事に統一されている。

話題となった顔合わせ。予想どおりアルゲリッチの強く個性的な表現とそれに煽られてぬるま湯から出たパールマンのひさびさ真剣勝負。これは聴き物。しかしそれがパールマンの歪んだ音やゆるんだアンサンブルを補ってるか? スポーツじゃないんだから。

全曲録音からポピュラーな2曲を組み合わせたもの。「クロイツェル」はパールマンの練り上げられた美音と、アシュケナージの丁寧なピアノとが効果的にからみあい、重量感のあるドラマティックな音楽が組み上げられている。「スプリング」も同様のことがいえる。

2年ぶりのパールマンの新録音は、なんとレッスン用教材。「なんだかなあ」という感じもあるけれど、ヴァイオリン学習者や教師にとっては、必須アイテムになりそうなアルバム。それにパールマンはヴァイオリン的美感の典型を聴かせてくれるから適役だ。

パールマン/レヴァイン/ウィーン・フィルによるモーツァルトの全集第1作で、2曲とも最上の名盤の一つ。古典的な様式美からの逸脱は皆無で、しかもたっぷりロマン的なパールマンと、同様に美麗で洗練されたウィーン・フィルは、室内楽的な妙味を満喫させる。録音のバランスも最上。

パールマンとアシュケナージとの初共演盤だったもの。(1)はレコード・デビュー間もないパールマンののびやかなヴァイオリンが印象深いが、聴きものは(2)。若い2人の意欲的で濃厚な表情の音楽を、タックウェルが堅実に支え、変化に富んだ演奏を繰り広げている。

(2)はパールマン2度目の録音。古くはシゲティ、ハイフェッツ、近年ではチョン・キョンファの名演があるが、パールマンは幾分客観的で洗練されたアプローチをしている。見事な技術と音で弾き切っているのだが、うますぎて陰影がないと感じる人もあるかもしれない。

いわゆるひとつの名演でしょう。アルメニアの民俗旋律を大胆に取り入れた協奏曲は、通俗性と芸術性が入り交じった傑作だが、パールマンとメータは、こんなにうまく演奏しちゃっていいのかと心配したくなるほどの演奏を披露している。でも、美しすぎる。

比較的音色の明るいパールマンとアシュケナージが組んで非常に良く歌っているから、時としてブラームスにしては饒舌かと思うこともある。しかし、両者の音楽性の高さからみればそれは非常に贅沢な悩みと言わねばならないだろう。

パールマンらしい実に朗々と歌いあげたベートーヴェンである。その磨き抜かれた音色は言うまでもないが、ベートーヴェンなどの古典になるとパールマン自身も華麗さをある程度抑えているような気がする。ジュリーニもスケールが大きい。ビデオもあり。

パールマンはここでも美しく豊麗にヴァイオリンを奏でる。(1)においては音色があまりにも明るく、2楽章の叙情的表現にはマッチしないが、(2)の爽やかな美しさは繊細な表情と共に素晴らしい感銘を与える。ハイティンクの指揮は多少重厚だが良いサポート。

スペインの器楽曲は、言うまでもなくギター曲が大多数であるが、サラサーテというヴァイオリンの巨匠がいたことを忘れてはならない。「スペイン舞曲集」からの5曲は、パールマンの、スペイン臭すぎないユニヴァーサルな表現が成功している。

S.サンダースのピアノと共に繰り広げられるパールマンの小品集。馴染みの曲が多いというのも魅力だが、パールマンのヴァイオリンが実にのびのびと躍動感を持って奏でられている点がやはり聴き所だろう。“音楽”とは歌うことなんだと痛感させられる。

名人パールマンが軽やかにかつ楽しく弾きまくっている、アメリカは19世紀のラグタイム・ミュージックの王様スコット・ジョプリンのアルバム。ピアノ伴奏のプレヴィンの乗りはさすがにジャズプレーヤー、なかなか良くて、これで録音がよければねえ…。

ウィーン風の甘美さと小粋さを持つクライスラーのオリジナル及びアレンジを39曲、これ以上考えられないほどの適性を示しながら、パールマンのセンスの良い演奏がくりひろげられる。美しい音と歌、決してクサクならない表現、キレの良い技術、お見事。

パールマンはここでも美しく豊麗にヴァイオリンを奏でる。(1)においては音色があまりにも明るく、2楽章の叙情的表現にはマッチしないが、(2)の爽やかな美しさは繊細な表情と共に素晴らしい感銘を与える。ハイティンクの指揮は多少重厚だが良いサポート。

20代前半のパールマンの協奏曲は、後年の豊麗さには及ばないが、趣味の良さと高い技術はすでに明確だ。他の曲ではフレッチャの「スラヴ行進曲」が新鮮な感覚で聴かせるが、ギブソンの「イタリア奇想曲」は凡演。輸入盤との価格差をなくしましょう。

メータ&イスラエル・フィルのソ連演奏旅行に独奏者として同行したときのライヴ録音。前半はレニングラードでの協奏曲、後半はモスクワでのリサイタルからのもの。美しい音色と豊かな響きでのびやかにうたいあげられており魅力的、耳を傾けさせる演奏だ。

時代を間違えたような「サイケ」なジャケットからは想像できない、ロマンティックで上品なヴァイオリン。楽器を思う存分歌わせながら、けれどもそれが絶対にオーバーにならないのは、パールマンの面白躍如といったところ。オケもとてもチャーミング。

パールマンのvnは、実に艶やかで健康的。加えてレヴァインの棒は不用意な屈折を斥けて明快。この愛すべき連作佳品が正に水を得た魚、生き生きと解き放たれ息づいて、魅力的な時間をもたらしてくれる快演である。ワビサビ派には少々まぶしい?

この豪華なコンビによるモーツァルトの第4集。今回はウィーン時代初期の大変演奏される機会の多い3曲を収録。パールマンの幾分奔放な弾きっ振りに、ぴたりと合わせるバレンボイムの老獪さにこれは脱帽もの。録音は好みから言えばvnをもっとオフに。

スペイン、そしてジプシーをテーマにした小品を集めた1枚。民族臭の強い情熱的な曲が、パールマンの抜群のセンスによって美しく洗練されている。特にポルタメントを用いて、軽やかさの中にフワッといろっぽい香りを添えるタイミングは実に心憎い。

パールマンは、83年にアシュケナージとブラームスのソナタ全曲をスタジオ録音しているが、今回のバレンボイムとの録音は、89年シカゴでのライヴ。パールマンは、明るめの音色でブラームスをしなやかに歌い上げている。バレンボイムのピアノが瑞々しい。

若き日のパールマンの録音。切れのあるテクニックと明るい音色、そして甘めの表情を武器に、親しみやすく聴かせている。深刻になり過ぎることなく、あくまでも軽やかで楽天的。プレヴィン率いる伴奏も色彩豊かでノリも上々、聴きやすさを助長している。

密やかで北欧の白夜を思わせる冒頭のフレーズの見事な演奏から、パールマンの術中にはまってしまう。一方(2)のボヘミア色濃厚な作品を、ロマンティシズムあふれた演奏で彩っている。少しまとまりすぎているなどと、つい贅沢な不満も言ってみたくなるほど。

CMでもおなじみのパールマンのツィゴイネルワイゼン。こうしたヴィルトゥオーゾ系名曲を、巧みな語り口でサービス精神たっぷりに楽しませることにおいては、パールマンは当代随一。どんな難所もラクラクこなす、彼の華麗な芸風を堪能させる極上の1枚。

録音年代は20年以上に渡っているが、音質や芸風に凸凹なく、まるで最新のベスト演奏のような印象。ともかく、これだけ明るくメリハリをつけ、うるさいくらいにたっぷりと歌わせることにおいて、パールマンをおいて右に出るものはなかろう。

パールマンの甘く明るいヴァイオリンが理屈抜きで楽しめる1枚。いわゆる、ふわりとしたウィーン風のクライスラーではないけれど、パールマンの艶やかな美音でしっかりと歌われた旋律は、気持ちをゴージャスなものにしてくれる。

(1)は2度目の新録音。曲が曲だけに、独奏ヴァイオリンがラップ・ミュージックのようにしゃべりまくり、マット運動さながらにピョンピョン飛び回り、まさにサービス満点だ。(2)も流麗でよく歌う演奏だが、新譜ではないので注意(WPCC−5633と同一)。

(1)ではパールマンはかゆいところに手が届くように歌い、美音をたっぷりとふりかけてサーヴィス満点。マはどちらかといえば脇役に徹し、しっかりと適度に自在な表情を作る。伴奏はそれなりにメリハリのついた明快なもの。(2)はWPCC-5633と同じ演奏。

東欧の民謡やジプシー音楽の影響を受けたユダヤ音楽に、ジャズなどの要素を融合したエスニック音楽だ。パールマンに、クラリネットやパーカッションなどの楽器や歌が加わり、民俗音楽特有の血の沸くようなエキサイティングなサウンドが繰り広げられる。

血がさわぐとでもいうのだろうか、パールマンの弾くユダヤのメロディには何か切々と訴えかける熱き情熱と説得力が感じられる。クラリネットやアコーディオンなど、いわゆるジプシーを彷佛させるバンドをバックにかなでる15曲(歌アリ)はまさに魂の歌だ。

(1)では、パールマンの色気のあるヴァイオリンと小澤の繊細で美しいオケ・ドライヴが楽しめる。(2)では、パールマンが少々強引な演奏をきかせるが、小澤の指揮が非常に生き生きしている。ストラヴィンスキーの新古典主義と小澤の相性の良さを感じる。

ボザール・トリオとゲヴァントハウスの名演が記憶に新しいが、こちらは三者がそれぞれの個性を強烈に発揮。とりわけ、マの旨味のある節回しとピアノ、オーケストラの背景づくりが素晴らしい。濃厚な味わいを聴かせる合唱幻想曲も新発見に満ちた出来!

みずみずしいフランクのソナタ、編成も珍しいブラームスのホルン・トリオ、さらにシューマンとサン=サーンスのホルンとピアノのための小品も加えられて、室内楽の愉悦に浸れる1枚。何よりも3人の音色の重なりあいが面白く、この時期だからこそできたもの。

この3人はやっぱり優れ者。本当に上手い。軽くて繊細な響き、微妙に揺れ動く色彩感。細かいニュアンスも、ぴったり息の合った演奏でしっかりと聴き手に伝わってくる。そんな演奏だから、いつの間にか真剣に聴き入ってしまう。洒落ていてかつ雄弁な音楽だ。

95年に50歳になったパールマンの最新盤。どんなにこまかなフレーズにもくまなく明るい光りが照らされ、常に健康的に快活に音楽が進む。親しみやすいヴァイオリンを弾く人としては現在の第一人者であろう。伴奏はムーディな雰囲気がいっぱい。

パールマンの独奏は模範的な技術を持ち、それを駆使して極めて明快、甘美に歌っている。これがベートーヴェンやブラームスであればうるさい感じがするかもしれないが、こここでは曲想とピッタリあっている。バレンボイムの指揮も明るくメリハリがある。

パールマンが本質的に持っている美音の特質が、最も活かされたレパートリーのひとつが復活した。リヴァプールで指揮者として活躍したこともあるブルッフの、《スコットランド幻想曲》とレア・ピースのvn協2番の組み合わせは、この10年後にメータとも録音している。

いずれも60年代、パールマンが20代の頃の録音。艶の乗った独特の美音を武器に、エイヤッ、とばかりタップリと歌い、バリバリと弾きまくる。アジワイ、などと口走る前に、とりあえずサワヤカに感心させてしまう快刀乱麻。選曲もウンチクがなくて、いい。

今世紀に誕生したアメリカのヴァイオリン音楽が収められたこのアルバムは、選曲・演奏ともに親しみやすく、優れている。どの曲も、パールマンらしい自らが楽しむ趣が感じられ、パールマンらしいリリックな表現と麗しい美音に酔わされてしまう。オケも魅力的。

このアルバムの録音時(1975年)には若手だった2人も、今や巨匠の風格を漂わせる名手。サロン音楽として書かれたパガニーニの曲では肩の力を抜いて、ジュアーニでは伸びやかな歌心をからませて、美しく瑞々しい演奏を聴かせてくれる。楽しい1枚だ。

名手パールマンの最新作は『ヴァイオリン愛想曲集』。クライスラーとハイフェッツの編曲を中心に収録しているが、いずれも小品とはいえ、技量と表現力を要求されるものばかり。彼は、いつもながらの美音で名人芸を発揮しており、豊かな奏楽が味わえる。

レコード時代、パールマンとアシュケナージの共演で話題になった録音だが、CD化されて聴きなおすと、意外や(!?)、両者に互したハレルのチェロが光る。三者が有機的にからまりながらひとつの音楽に結びついていく過程が、素敵に美しく流れて感動を呼ぶ。

言わずと知れたジャズ界最高のピアニストとクラシック界最高のヴァイオリン奏者の共演盤。ジャンルを越えた一流ミュージシャン同士の交流。心暖まる音楽の会話に、理屈はいらないのだ。見事復帰したピーターソンには「よかったね」の一言を送りたい

ベートーヴェンだけでなく、誰のvnソナタを演奏させてもゴールデン・デュオと呼ばれるであろうこの二人が瑞々しく健康的な音楽を聴かせてくれる。パールマンのヴァイオリンに表れる躍動感、そしてアシュケナージとの掛合いはまさに「才気縦横」の趣あり。

模範的な技術、明るく親しみやすい美しい音と、パールマンのソロには文句のつけどころがない。これらのソナタにシゲティのような厳しさやシェリングのような禁欲的な側面を強烈に求めるのではなければ、ほとんどの人が満足する名盤である。

(1)はうるさいくらいによくしゃべり、かつよく歌い、音色も非常に明るい。十分に楽しい演奏だが、抑制された表現を好む人には鼻につくかもしれない。(2)はさらにスケールの大きい大家風の表現。伴奏は非常に明るく歯切れの良いもの。

パールマンとバレンボイムのデュオによる、色鮮やかで柄の大きなモーツァルト。2人の競い合うアンサンブル(特に、挑発するかのようなバレンボイムのピアノ)が楽しめる。パールマンのヴァイオリンは、音楽の喜びが伝わってくる。

今世紀のヴァイオリン協奏曲2曲、しかも強烈にユダヤ的な作品がパールマンによって演奏された1枚でライヴ。ソロの巨匠的な動きと、それに触発されたかのように熱狂する管弦楽というかなり独特な世界だが、パールマン、そしてメータが感興を高める。

パールマン自身も述べているように、バランスとヴァラエティを十分考えた選曲になっており、彼の音楽をありとあらゆる方向からながめることができ、まさに彼のすべてと言える。初めてCD化されたものもいくつか含まれているのもファンには嬉しい。

76年に続く2度めの録音。明るく力強く,そしてどんな小さな音までも全く曇りなく明確に浮き上がらせている。あまりにも日向ばかりでやや単調さを感じるが,万人向きの演奏としては十分お勧めできる。バレンボイムの伴奏もたいへん立派。

10代の頃からヴァイオリニストとして活躍、いまや第一人者として円熟した演奏を聴かせてくれるパールマンだが、これは、彼が21歳から22歳の年に録音したもの。若き日のパールマンの見事なテクニックとエネルギーに溢れた協奏曲は必聴ものだ。

ベートーヴェンの初期の作品で、先人の影響が認められる部分もあるが、既に充実した室内楽の世界が随所で展開されている。当代きっての名手3人が安定した構成と豊かな響きによって、これらの作品の魅力が四重奏曲等にも匹敵することを証明してくれた。

パールマンのベスト・アルバム。72年から88年の録音。オケ伴奏からピアノ伴奏、無伴奏まで様々な組み合わせから選ばれている。パールマンの楽天的で甘い音色のヴァイオリンを聴いていると、音楽の喜びが伝わってくる。選曲も親しみ易いものとなっている。

ベートーヴェンならともかく、モーツァルトのソナタでいきなりピアニストに触れるのは筋違いかもしれないが、陽に傾きがちなパールマンを支え、音楽に深さと奥行きを与えているのはバレンボイム。パールマンも優れているが、バレンボイムの功績が大きい。

パールマンの輝かしいストラディヴァリウスに、ズッカーマンのグアルネリウスが影のようにぴったりと寄り添って、見事に一体となっている。ビッグの共演にしては意外なほど穏やかで、刺激的とは言えないが、極上の愉しさをもたらしてくれる。

83年から始まった彼らのモーツァルトVnソナタの録音、今回は晩年の2曲。速い楽章では生気の漲ったキラキラした音が勢いよく飛び散り、生の歓喜を存分に謳歌している。ただ、緩徐楽章で「あと一歩奥行きがあれば…」と思う場面が時としてあるが。

二人の名手がお互いに触発しあっている。ここで挑発をしかけているのはバレンボイムの方であろう。それを受けて立つパールマンも決して負けていない。特にK.454でイキのいい音楽をつくりあげている。こういうアルバムを聴くと本当に気持ちがいい。

とにかく、パールマンは恐ろしく巧い。特に後半の2曲にそう感じる。前半の2曲は少し饒舌かと思う時もあるが、それはぜい沢な悩みかもしれない。特筆されるのはマルティノンの伴奏。品格の高さと透明感をあわせもったものだ。

ハイフェッツの編曲によるピースばかり集めた1枚。パールマンは持ち前の音色でハイフェッツとは異なった音楽を奏でるが、技巧的な編曲ものにおいて、ハイフェッツの山師的ないかがわしさが消えて、中庸な表現になっているのが好みを分かつだろう。

パールマンのユダヤ人としての血がこれ程はっきり出尽した演奏も珍しい。まるで声楽のように歌い、多彩な音色を駆使して、ユダヤ民族の情感を、熱い信仰告白のごとく吐露していく。この独特な感覚は、我々にとってはかなり異質で、特殊なものである。

気のおけない、おなじみの名曲5曲をパールマンの明るくのびやかな音色と歌心によって心ゆくまで楽しむことができる。(1)(3)のあっけらかんとした歌、(2)の神秘的な響き、(4)のとぎ澄まされた音の世界、圧巻の(5)。どれもがうっとりとさせてくれる。

2つのソナタと、ソナタ以上に長い2つの変奏曲の計4曲をひいている。(1)では当時の慣例に従い主導はあくまでもピアノ。(3)もパールマンよりはバレンボイムを強く意識させるが、2人の呼吸は良く合い(2)ではパールマンも実に気持ち良さそうに歌っている。

パールマンとバレンボイムによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全集の第1作。パールマンの美しいヴァイオリンも聴きものだが、バレンボイムのピアノが良い。この人の伴奏は本当にうまい。

パールマンの明るく突き抜けるような音色は、これらの曲に全くピッタリだろう。どちらかといえば、精神性云々といったことには無関係だから(パールマンが軽いということではなく)、これ以上何を望んだら良いのだろうか。

全曲録音からポピュラーな2曲を組み合わせたもの。「クロイツェル」はパールマンの練り上げられた美音と、アシュケナージの丁寧なピアノとが効果的にからみあい、重量感のあるドラマティックな音楽が組み上げられている。「スプリング」も同様のことがいえる。

「春」や「クロイツェル」のように副題が付けていないためか、質の高さの割には演奏回数の数ない2大名品。演奏の方も二者のバランスが実によくとれており、筆頭にあげられるCDのひとつだ。

パールマンとアシュケナージとの初共演盤だったもの。(1)はレコード・デビュー間もないパールマンののびやかなヴァイオリンが印象深いが、聴きものは(2)。若い2人の意欲的で濃厚な表情の音楽を、タックウェルが堅実に支え、変化に富んだ演奏を繰り広げている。

比較的音色の明るいパールマンとアシュケナージが組んで非常に良く歌っているから、時としてブラームスにしては饒舌かと思うこともある。しかし、両者の音楽性の高さからみればそれは非常に贅沢な悩みと言わねばならないだろう。

名演の多いこの曲にまたひとつ名盤が加わった。“うたう”ことを基調にした豊潤・豊麗なバッハ。考えぬかれた奥深い演奏であることがひしひしと伝わってくる。この曲を知らない人はもちろん、よく知っている人にもぜひ聴いてほしい演奏だ。録音も優秀。

1972年の録音だから、パールマンとしては比較的初期の演奏だが、まさに快刀乱麻とはこのこと。頻出するスタッカート・ヴォランや左手ピチカート、その他各種特殊奏法を次々とクリアーし、しかもこの曲集の持つ生命力を明るく輝かしく増幅して伝えている。

パールマンの美音が堪能できる1枚だ。とにかく、現在最もヴァイオリンらしい音を出せる人としては、彼は最右翼の存在だろう。それに、小品とはいうもののスケール感豊かであるのも彼らしい。ピアノのサンダースとは息がピッタリ。

完璧と称されるテクニックと、磨き抜かれた音色を持つパールマンにとって、まさにお手のものといった小品集。ただ、かつての饒舌さとも言える華麗さが少し陰をひそめ、より瑞々しい表情がきかれるようになったのが今までと違うところだ。

いずれもパールマン1度目の録音。(1)などは、美音を犠牲にしてまでも情熱を発散している様など、いかにも若きアーティストという感じがする。(3)も胸のすくよう快演。やはり彼は当時から無類のテクニシャンだった。音もかなり鮮明。なお、(1)は5楽章版。

(1)はパールマン2度目の録音。ラロの気持ちは交響曲、しかし形は協奏曲という作品。おなじみパールマンとバレンボイムのコンビで、相変わらず息の合ったところを聴かせる。バレンボイムはピアノの時もそうだが、こういう合わせものが実にうまい。

パールマン/レヴァイン/ウィーン・フィルによるモーツァルトの全集第1作で、2曲とも最上の名盤の一つ。古典的な様式美からの逸脱は皆無で、しかもたっぷりロマン的なパールマンと、同様に美麗で洗練されたウィーン・フィルは、室内楽的な妙味を満喫させる。録音のバランスも最上。

パールマン/レヴァインの全集完結篇。本当にパールマンの音は美しい。このアルバムではそれをイヤという程思い知らされてしまう。時々、パールマンの独奏は饒舌に感じることもあるのに、ここでは不思議とそうは思えない。レヴァインとVPOも非の打ちどころのない美しさだ。

パールマン/レヴァインのモーツァルトvn協奏曲全集第2作。同一世代でしかも風貌も似ている2人だが、パールマンのともかく美しい音とレヴァインのすっきりした棒さばきがモーツァルトの魅力を引き出し、演奏スタイルも見事に統一されている。

(1)は往年の有名なユダヤ系ポーランドのヴァイオリニスト、フーベルマン(1882〜1947)の生誕100年記念のコンサート・ライヴ。イスラエルにユダヤ系のほとんどの著名弦楽奏者が集まった。ここでは2人の奏者の音が非常に美しく、表情も豊かですばらしい。

(1)は円熟したパールマン2度目の、そしてデジタル録音。現役演奏家のもののなかではベストのひとつで、正確さ、歌い回し、音色等、非のうちどころがない。やはり2度目の録音のチャイコフスキーにも同じことがいえる。バックはさすがにオーマンディが老練さを見せ好演している。

(1)はベルク最晩年の作品で少女マノン(マーラー未亡人再婚後の子)の死に触発されて一気に書かれたともいわれるレクイエムだが彼自身のレクイエムともなった。(2)はストラヴィンスキー円熟期の最初のヴァイオリン作品。パールマンも小沢も実に素晴らしい演奏だ。

パールマンにとっては6年ぶり、バレンボイムにとっては11年ぶりの再録音。巨匠スタイルをとるオーケストラのぶ厚い響きの中で、パールマンのソロがすばらしい美音でゆうゆうと泳いでいく。カデンツァはクライスラー。もう王者の貫祿だ。

パールマンらしい実に朗々と歌いあげたベートーヴェンである。その磨き抜かれた音色は言うまでもないが、ベートーヴェンなどの古典になるとパールマン自身も華麗さをある程度抑えているような気がする。ジュリーニもスケールが大きい。ビデオもあり。

(2)はパールマン2度目の録音。古くはシゲティ、ハイフェッツ、近年ではC.キョンファの名演があるが、パールマンは幾分客観的で洗練されたアプローチをしている。見事な技術と音で弾き切っているのだが、うますぎて陰影がないと感じる人もあるかもしれない。

ソロをクローズアップして2人の名技をめいっぱいアピールする録音。オケはあくまで縁の下でサポートに徹する。ブラームスの3楽章などは、オケという土俵上で横綱同士ががっぷり四つに組んだ感じで大迫力。メンコンも、まさにパールマンの独壇場。

どんな難曲でもスイスイとこなしてしまうパールマンだが、これは少し違っている。それはまるで挑戦者のようにもの凄い意気込みで、彼の情熱がじかに感じられる数ないもののひとつだろう。ジュリーニも骨太なサポート。

とにかくテクニックは抜群だし、音は徹底して磨き抜かれたもので、ポルタメントを多用し、実に色気のある独奏だ。現在の彼ならばもう少し引き締った表現をするかもしれないが、とにかく恐れ入ってしまうヴァイオリンだ。プレヴィンの棒も雰囲気が豊か。

美しい。実に美しいバッハだ。ここには、近年の研究成果を踏まえた還元主義的演奏が切り捨ててしまったロマン的な(悪しき19世紀的習慣の?)バッハがキチンと残っている。特に(4)ではパールマンとズーカーマンによる陶酔的な美音がきける。

(1)はチェンバロ協奏曲の第1番として良く知られている。(2)は2台のチェンバロ協奏曲の第1番、(3)もチェンバロ協奏曲へ短調として知られているもの。パールマンが指揮もしている。繊細な響きの中に透徹した音楽観を示す立派な演奏だが、録音が少し堅い。

(1)は面白い曲なのだが、なぜか人気は今ひとつ。パールマンは相変らずテクニックが冴え、音も極めて美しい。メータの伴奏も実にスケール感豊かで、独奏ともども充実の1枚。

両曲とも楽曲を通じて何を表現するかというのが目的ではなくヴァイオリンそのものが目的のため、ソリストの技巧を過酷なまでに要求するが、パールマンはその点について申し分ない。音色も明るく色気たっぷりで、万人に受け入れられる要素を備えている。

パールマンが初来日した1974年の録音。純粋・清澄でしかも均整のとれた音がとにかく美しい。最高級のテクニックと音楽性を備えながら余裕を感じさせる演奏で、(1)3楽章にみる軽快さもまた心地良い。彼と親友でもあるバレンボイムのサポートも見事。

パールマンが華麗な音色と自在なテクニックでたっぷりと歌っている。中低音から高音に向かうパッセージでは、まるで貴婦人が天へ舞いのぼる様な、めくるめく魅惑の色彩をもった音色の変化をみせる。2楽章の感傷も乙女の、憧れを含んだ恥じらいのようだ。

何でも美しい歌に変えてしまうパールマン魔術は健在。グラズーノフはともかくも、ショスタコーヴィチまでが甘い憧れを歌い出すのには驚いた。余人及ばぬ強烈な個性と言わねばならない。バックもその傾向に拍車をかけている。

(1)はパールマン2度目の録音。パールマンの演奏はテクニックが抜群であるばかりでなく独得のあたたかさをもっているが、このCDではその特質が十分に生かされて名演となっている。プレヴィン指揮のピッツバーグ響もよくサポートしており、安心してきくことのできる一枚である。(2)も珍しい。

(2)はパールマン2度目の録音。両曲とも随所に適度のポルタメントや粋な表情をつけて自由に奏きまくっている。技巧は完璧でしかも余裕があり、サン=サーンスの第1楽章展開部前のハイポジションなどパールマンならではの美しさだ。オーケストラも表情が非常に大きい。

(1)ゴールドマーク(1830〜1915)はブラームスと同時代の作曲家。この曲はミルシテインのかつての愛奏曲で全曲歌いっ放し。(2)コーンゴールド(1897〜1957)は近年再評価されている元「天才」作曲家。映画音楽風の曲だがパールマンのソロは大変美しい。

アール・キム(1920〜)はカリフォルニア生まれ。(1)はパールマンのために作曲され、弦のさざ波が3分以上続いてから、ようやくソロが出てくる。協奏曲といいながら、名技的要素は少ない。(2)ステアラー(1924〜)の曲は東洋風ポルタメントを多用している。

バレンボイムは2度目の録音。感傷的な旋律をヴァイオリンが切々とうたいあげる、非常に美しい楽曲。パールマンは、嫌味を少しも感じさせないポルタメントを多用し、この曲の甘美なけだるさを強調。管が抑えられたオーケストラ共々、しっとりした味わいがある。

ソロ、オーケストラとも絶好調だ。特に第4番は、パールマンの唸るようなG線の響きと冴えたテクニック、バックのオケのぶ厚く華麗な量感はいかにもこの曲にふさわしい。第2楽章の透明なヴィブラートなど本当に素敵だ。5番も同様。実に愉しい聴きものである。

パールマンとしては初期の録音で、(2)はバレンボイムとの再録音のほうがよりボルテージが高いが、珍しいのも加えたこちらも魅力的だ。何か楽々と奏いてしまっている感じさえある。近年の彼はこれに強い個性が加わってきた。オケはやや音が薄い感じだ。

パールマン2度目の録音。極めてさわやかな「四季」だ。何といってもソロのパールマンがうまい。音色は明るく、スタイルもバロックの規範を踏み外さない程度にグランド・マナー。バックのイスラエルフィルも弦の音が美しい。スタッカートの処理などに他の盤と違う新鮮さもある。

パールマン初の「四季」ということで注目されたもの。パールマンは指揮とヴァイオリン独奏を兼ねている。この曲の「vn協奏曲」という側面にスポットを当てた演奏で、特にソロ・パートが素晴らしい。どの部分をとっても生気に溢れている。