2017年2月、横浜みなとみらいホールでのライヴ録音。パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは純器楽曲的。引き締まっていて、明晰で、推進力があり、隅々まで緻密に作られている。N響も世界水準の機能性を発揮。パーヴォ&N響は、この公演の直後にベルリンやロンドンでマーラー6番を披露した。
パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルのブラームス交響曲全曲録音が完結。パーヴォは、適度にテンポに変化をもたせ、音のダイナミックスの幅を広くとる。特に弱音表現が見事。ドイツ・カンマーフィルは、弦楽器の音が澄んでいて、厚ぼったくならず、各楽器の絡みが明晰に聴こえるのが素晴らしい。
ムローヴァはクレーメルを超えた? アルヴォ・ペルトの名を世界の音楽地図に載せた功労者であるクレーメル、このディスク収録曲のほとんどの初演者でもある。その大きな存在を軽々と(?)超えたかのように表層は清楚に、内面は奥深く、ジャケット所載のペルトの幸せそうな表情もその証だ。★
2016年9月のライヴ録音。「展覧会の絵」でのパーヴォは、こけおどし的な表現を避け、N響の機能美を引き出すのに徹する。ヴァイオリンの対向配置が効果的(第2vnが強力)。「はげ山の一夜」は原典版を使用。オリジナルの自由奔放な妄想を再現したという意味では、ムソルグスキーらしさがいっそう味わえる。
パーヴォ・ヤルヴィは、民族的な情念に寄りかからず楽譜に書かれた曲の真髄を余すところなく解き明かす。パリ管をフルパワーで燃焼させ、シベリウスの交響曲から圧倒的な感動を導き出す指揮棒は、聴衆の魂を震わせてやまない。確信に満ちた堂々たる演奏である。★
ブルックナー独特の響きや語り口が未だ確乎と落着することなく現れるこの交響曲の特異な面白さを、ヤルヴィは後年の音の姿に引き寄せて聴かせるのではなく、響きの仕掛けや音楽の組み立ての風変わりをあえてゴツと収まらぬままに見せることで、この作曲家の原初の音が持つ清新な独自性として際立たせる。
パーヴォの大活躍が止まらない! その中心とも言えるドイツ・カンマーフィルとのプロジェクトはベートーヴェンからシューマンを経て、ブラームス。「ブラームス時代のオケは40名程度」との主張には、マッケラスの室内管編成録音でも経験済みと。しかしこの躍動、この響き、この演奏には感服&納得。★
「ツァラトゥストラ〜」は実に充実した響きで、これまでこの曲を録音した日本のオーケストラの中でも最高峰だろう。「メタモルフォーゼン」はある意味もっとすごく、これがN響だとは想像がつかないほどだ。ライヴらしい熱気もすごく、内容のぎっしりつまった新盤として推す。
繊細かつダイナミックなヤルヴィの指揮でショスタコーヴィチの傑作「森の歌」が現代に蘇った。魂を高揚させる迫力ある合唱と精緻な管弦楽が混交して壮大な伽藍を形作る。指揮界の英傑ならではの逸品。劇的展開に息を呑む「ステパン・ラージンの処刑」も名演だ。★
パーヴォ・ヤルヴィは、ドイツ・カンマーフィルの小振りな編成の機動性を活かし、ピリオド的なアプローチも採り入れ、快速で刺激的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。この「英雄」と二つの著名な序曲も、力のこもった、まさに胸のすく快演である。ソニーのベスト・クラシック100の中の一枚。
ブラームス全集の第1弾。2曲の序曲は非常にすっきりと冴え渡った、いかにもこのコンビならではの演奏だが、本命はやはり交響曲。引き締まった純度の高い響きを駆使し、細部まで思う存分に磨き上げ、多彩で変化に富んだ情景を描き尽くしている。
付点リズムのシンコペーション、音楽のくま取りの滑らかさ……、増々磨きのかかったパーヴォとフランクフルト放響の柔軟な音楽表現力の発露が、SA-CDハイブリッド盤の高音質で再現される。耳になじんだ音楽の、手慣れた演奏を、新鮮な驚きとして聴かせる特異な才能はまたも如何なく発揮された。★
ヤルヴィとN響によるR.シュトラウス・チクルス第2弾の目玉は「ドン・キホーテ」。チェロのモルクがすばらしい。ヴィオラはN響の佐々木亮。キレの良いヤルヴィの棒に対するオケの感度が抜群だ。各パートの見通しが良く、次々と展開されるドラマがダイナミックで鮮度の高い録音でとらえられている。
ニールセンの交響曲は、モダンで、新古典主義的で、ロマンティック。その振れ幅の広さがかえって、彼の作品を聴衆になじみの薄いものとしているのかもしれない。パーヴォ・ヤルヴィは、快適なテンポで、引き締まった演奏を繰り広げる。ニールセンの再評価につながるような交響曲全集の登場だ。
これがフランスのオケなのか? と凝視させる演奏だ。ボリューム感のある響きやスラヴ的陰影の深い音色や歌わせ方など、ラフマニノフ演奏に不可欠な条件を楽々とクリアする。2枚組でオール・ラフマニノフ。流麗な解釈とオケの自発性に富んだ演奏姿勢が熱演を生む。パーヴォの魅力全開のアルバムである。★
いよいよスタートしたヤルヴィ/N響によるR.シュトラウス・チクルス第1弾。「ドン・ファン」の冒頭からオケが伸びやかに歌う。これはいい。ヤルヴィは強引にドライブするのではなく、むしろオケを信頼し、そのポテンシャルを徹底的に引き出そうとする。複雑なテクスチュアと色彩感を見事に描き出している。
モーツァルトは伴奏が超辛口の古楽器的雰囲気。ハーンは伸びやかで明るいのだが、かなり伴奏を意識して弾いているかのようだ。ヴュータンも引き締まった伴奏だが、曲想のせいかハーンはよりいっそう自在に、けれども必要以上に甘くならず、大人の音楽。
予想通り、たいへんに引き締まった演奏。整理された響きからは従来の演奏ではわからなかったことがさまざまに発見される。特に第1楽章がそうだ。第2楽章も実に清新な音色で、いかにも新しいブルックナーという感じがする。後続の楽章もとても鮮烈。
いよいよ来季からパーヴォ・ヤルヴィがNHK響の首席指揮者に就任する。楽しみなことだ。そんな彼とベルトは、同じ国(エストニア)に生まれた音楽家どうし。だが単なる同郷人の共感などという次元を越え、ヤルヴィはスコアをクリアかつ鋭利に鳴らし、曲のあるべき姿を明らかにする。
ヤルヴィ自身が選曲した、曲が途中で終わらない“サンプラー”アルバム。三つのハンガリー舞曲は柔軟で豊かな表情を見せ、スタートしたブラームス・プロジェクトへの期待を大いに高めてくれる。ベートーヴェンとシューマンは過去の録音から。このコンビの“仲の良さ”が感じ取れて楽しい。
3年の時間を費やしての全集録音完結編にして、シューマンらしさが全開のパーヴォとっておきのプログラミング。“ミニ交響曲”と呼ぶ序曲、ゆかりのホルン奏者4人が集ったコンツェルトシュトゥックを経て、最後の交響曲に至る作曲家の(芸術的)狂気のエッセンスが高純度に凝縮された愉悦。★
パリ管と合唱団から多彩な響きを紡ぎ出すヤルヴィの手腕に感服する。プーランクの宗教曲が持つ陰影に富んだ表現法を掌中に収めた見事な指揮振りだ。「スターバト・マーテル」で澄んだ声を披露するプティボンの歌唱も魅力的。没後50年にふさわしい新録音である。
2004〜2008年にかけて録音され、ヤルヴィ/ドイツ・カンマー・フィルの評価を決定づけた名演のセット・ボックス。もちろんCD/SA-CD2ch/SA-CD5chのハイブリッド仕様だ。テンポは速い。ビブラートを抑えたアグレッシブでシャープな切れ味、颯爽とした推進力のある音楽は、何度聴いても鮮度の高さに圧倒される。
ヤルヴィのやりたいことは予想はついていたが、それでもこの序曲集は相当に辛口の印象を与える。ことに最初の「プロメテウス」がそうだ。「フィデリオ」ではティンパニがあまりにも刺激的だが、「コリオラン」はかつて耳にしたこともない斬新な音がする。
ライナーに寄せたコメントでパーヴォ自身が述べているように、因習的なアプローチから距離を置き、人間的な温もりを重視した演奏である。宗教的な荘厳さの“靄”を取り払い、力感あふれる明快さをベースとしながら、この作品がロマン派の交響曲の系譜に連なることを体感させる。説得力のある秀演だ。
ペルトの音楽は不思議なほどの静謐さや、宗教的でアルカイックな雰囲気に満ちている。それが聴く者を安らかで敬虔な感情に導くことが多い。かつてよく言われたヒーリング・ミュージックというものだろう。若き日のヤルヴィは、丁寧で穏やか、そして情愛あふれる手つきで演奏している。
パーヴォ・ヤルヴィと故郷エストニアのオケによるグリーグ作品集。彼ならではの柔軟な発想によって舞曲的作品を新鮮かつスタイリッシュに仕立て直している。モダンな北欧インテリアのように、オリジナルのメンタリティを継承しながら、現代性をしっかりと獲得している点が大きな魅力だ。
交響曲の一部として作曲されながら単独のまま遺された楽章たちを集めた逸話的アルバム。原曲に照らした興味もさることながら、まとめて聴くことによって何やらひとつの完結したマーラー世界として堪能できてしまう面白さがある。ブリテンが室内オケに編曲したという3番の第2楽章も新鮮に耳を引く。
パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによるシューマン交響曲全集第2弾。室内管弦楽団の特徴(相対的に管楽器がよく聴こえる)を生かし、決して鈍重になることなく、音が躍動する。明晰で、多彩で、引き締まっていて、新鮮な演奏。四つの序曲も聴き応えがある。
同時代の影響混然坩堝の如し。しかし音の周りに何やら得体の知れない可能性が渦巻く。19世紀末のウィーンで才気花開く前に20代半ばで夭逝したロットの音楽は、後期ロマンという時代を濾過せず映していわば過饒である。ヤルヴィは、その型に至らぬ異形の音の間からあふれ出るモノに共感して熱い。
ブルックナーの交響曲の中でも最も渋いと言われる作風を、ものの見事に華麗、流麗に変身させた演奏。といっても、決して奇をてらったわけではなく、正攻法できちっと仕上げてある。第4楽章のコーダなど、こんなに見通しのよい響きは初めて耳にした。
ヤルヴィとパリ管の相性は非常に良さそうだ。最近の録音でここまでパリ管の美しさがきちっと捉えられたのも珍しい。独唱、合唱も好演で録音も最優秀。チェロ独奏との「エレジー」も入る奇抜さ、世界初録音の「バビロンの流れのほとりで」もあり、話題性も大。大推薦。
アーノンクール、ラトルと個性的な新録音が続いた“ブラレク”に、パーヴォ・ヤルヴィがさらなるアプローチで挑んだ意欲的&魅力的なディスクの登場。前作マーラー「復活」における成功の余韻を引くようなオケとデセイに、切れのよい合唱とバリトンのテジエが加わり、ブラームスらしい深みと色彩感が現出。★
仲道&パーヴォのベートーヴェン協奏曲全集完結編。ソロはデュナーミクもフレージングも吟味を尽くされて緻密、また演奏効果に走らず丁寧に曲想を捉える。オケは明解なテクスチュアとリズムでじつに躍動的。室内楽的なスタイルとしては至高の境地をきわめた名演。★
内声やティンパニ、弦楽器の刻みなど、パーヴォらしいオーケストレーションの細部すべてに生命を宿らせたような演奏。「ライン」の第2楽章など滔々と流れる大河風でなく、活き活きとリズムを踊らせる。「春」でも浮き立つ情感や憧憬などを振り幅広く表現している。なお、「ライン」第1楽章でオーボエ&ファゴットにホルンを重ねる処理が1ヵ所なされている。★
ヤルヴィのパリ管音楽監督就任記念録音。オーケストラの制御能力にかけては今や随一の手腕を誇るヤルヴィ。ふだんの演奏会ではサブ・メインくらいの作品だが、メインに登場させてもよいほどのとびきりの美しさ。この路線でラヴェル、ドビュッシーもぜひ。
パーヴォ・ヤルヴィが手兵の一つであるフランクフルト放送響と「復活」を録音。合唱にはバスク地方のオルフェオン・ドノスティアラを招く。音色や楽器のバランスなど細部にまでこだわりが感じられ、それでいて、全体としての起伏や推進力もすごい。
オーケストラの鳴らし方にはコツがある。ヤルヴィはそれをこの「惑星」で有言実行しているかのようだ。枝葉末節に至るまで激しい表現意欲が感じられる。豪快な響きの中にもバランス感覚が保たれ表現にも破綻がない。大胆不敵でジェントルな「惑星」は魔性の美しさを持つ。
度肝を抜かれることはなく落ち着いた「第9」。そこここに小さな驚き満載なのはむしろ当然、聴くほどに引き込まれる。驚くほどに挑発的な「英雄」で始まった全集録音はこれで完結、まとめ役の「第9」が加わって、5枚のディスクは新たな輝きを放つ。★
ショスタコーヴィチはなかなかの重量級演奏。けれどもヤルヴィ持ち前の見通しの良いすっきりした感覚、冴えた響きはまったく失っていない。このコンビは予想以上に好調と判断できる。エストニアのトルミス作品は交響曲の第2楽章に楽想がよく似ている。
「はげ山」はおどろおどろしさは控えめですっきり仕上げている。「展覧会」も豪華な響きを追求するというよりも、原点に立ち返ってスコアに書かれた音を忠実に再現しようとるす真摯さが感じられる。最後に「モスクワ河」が入っているのも気が利いている。
ロシア/ソビエトのダンス音楽集ですね。濃厚なスラヴな味わいを求める人には向かないかもしれないが、鮮烈でかっこいい。ハチャトゥリアンの泥臭さも案外よく出ているし、ショスタコーヴィチのシニカルな雰囲気もうまい。それに音がいいので気持ち良く聴ける。
この曲の第3楽章の響きにこれほど多様な表情が潜んでいたのかと認識が洗われる。殊更な仕掛を弄しているわけではない。敬虔崇高な構えを作らず、沈着に耳を働かせて響きの色や質感の違いを引き出すことで、遥かな想いが巡りゆく未見の音の姿が浮かび上がる。★
ジンマン、ノリントン路線を踏襲した小型、軽量、快速路線のベートーヴェン。細部の追い込み方はこの二者以上とも言えるもので、なかなかにピリリと辛い。オノフリのような自分勝手でもなく、プレトニョフのような思いつきでもない、真摯な演奏だ。
たとえば、第3楽章がこれほど軽やかな演奏は珍しいかも。前半の二つの楽章ではあまりにも繊細と思われる箇所もあるが、その反対にかつて体験したこともないすがすがしさもある。決定盤とは言えないが、曲に新しい光をあてた演奏として注目。
ゆったり進行中の全集録音第3集。モダンと古楽器の折衷作をとるヤルヴィたちの演奏は、どちら側の議論も吹き飛ばしてしまう勢いと生命力にあふれて、作品に込められた革新性が、わくわくされられるまでのリアリティで迫る。言葉に尽くせぬ愉悦が広がる。★
肩透かしを食ったようにあっさりとした「悲愴」は、ドイツ・カンマー・フィルとのベートーヴェンに聴かれたようなドライヴ感も希薄。ところが、パーヴォの潔い語り口の上手さにいつしか乗せられて、忘我の境地に漂ううちに曲はフィナーレ。もう一度聴くぞ!
ハケか何かで皮膚をサッとなでたような超軽量演奏。小編成で古楽器奏法を取り入れ、使用楽譜は最新のもの、この方法はすでにほかの指揮者が試みたことである。違うと言えば違うが、根本的なものではないので指揮者の意図が心の底まで届くかどうか微妙。
スマートな演奏だ。もはやラフマニノフのというより“交響曲”としての定位置を確保したともいえるアプローチの印象。第1楽章の衒いのなさ、そして甘美なアダージョもさらりとこなす。現代的なロマンティシズムが漂う“これから”のラフマニノフである。
パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルが一体となって新たな地平に踏み出した記念碑的企画の第1弾。ベーレンライター版、小編成オケ、古楽器の一部使用などなど、すでにやり尽くされたかにも思える技の総合が、ヤルヴィたちのエネルギーを得て新たに輝く。★
バルトークはハンガリー、ルトスワフスキはポーランド。両者ともに圧制を受けながら祖国への思いを音楽に投入した、いわば入魂の作品を残した。本盤に収録された作品はいずれも民謡を素材として高潔な音楽に昇華させた20世紀の傑作。今こそ再検証の時は熟した!
快調にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音を進める仲道郁代と、上昇気運にあるパーヴォ・ヤルヴィとによるまさに絶好調の共演。仲道は自信に満ちた堂々たるソロを展開。ヤルヴィは切れの良い引き締まったベートーヴェン演奏を繰り広げる。
“新世界”の刺激による新たな響きと、カラダの底に染みた“チェコ”の生理が混じり合う2作。ヤルヴィは過剰な身振りを避け、端的といった風情で、その近しさと時を隔てた混交のかたちの違いを浮き彫りにする。オケの色と響きあったマルティヌーが快演。
柔らかくくすんだ音色で、正統的に、ていねいに歌い抜く。時にある種の鋭さや明暗のコントラストなどが欲しくなることもあるが、全体的には非常に良い仕上がりであろう。特に夜想曲の「雲」「シレーヌ」、「海」の「波の戯れ」、「英雄的な子守歌」が印象的。
「春の祭典」は、テラークの優秀録音とあいまって、作曲者が施したオーケストレーションの妙味が、不必要な力みを排しつつ、あますところなく再現されている。オーケストラも好演だ。ニールセンの5番では、忍びよる暗雲との激しい闘争が峻烈に描かれている。★
豊麗なサウンド……という言葉しか見あたらない。艶やかでふくよかなハーモニー。ヤルヴィの指揮もオケを完全に鳴らしきっている。音の隅々にまで日差しがあたってキラキラしている。ラヴェルの作品にトゲや皮肉っぽさを求める人にはもの足りないが……。
2001年から同オケの音楽監督に就任したヤルヴィの真価が明快に表われたアルバムだ。ボリューム感のあるブラスの持ち味を存分に活かしながら弦パートを強靭に磨き上げ、エネルギッシュでありながら終始洗練された表現に整えている。理想的な「ロミ・ジュリ」である。
ここでは、なぜか2曲ともスリム化させた版が選ばれている。ストラヴィンスキーは、新古典主義手法での実験的意味合いで改訂したのだろうけれど、原典版との差は歴然だ。しかし演奏はいい。こうした曲の新古典的スタイルを、スタイリッシュに見事に表現している。
シベリウスのほうはやや手堅くまとまりすぎて、やや窮屈な演奏という印象を受けるが、それでも時々非常に繊細な、あるいはいかにも北欧という場面が出てくるのは、地元出身ゆえか。トゥビンは静謐さと異様なまでの高揚感がある作品だが、こちらの方が出来は良いかもしれない。
通例この交響曲は華麗に、そして興奮を煽るようなコンセプトで演奏されることが多い。だがヤルヴィはそれを断固拒否し、楽譜やオケの細部まで繊細な目を配り、実にエレガントで知的な演奏を聴かせる。「ロメ・ジュリ」も同様。実にユニークな美しさがある。
パーヴォ・ヤルヴィはこれからが楽しみの指揮者だ。とりあえずこれは彼の名刺替わりといったところか。彼の恩師でもあるバーンスタインの生誕80周年に際してつくられたアルバムである。質の高いオケとあいまって、聴き応えのある秀演に仕上がっている。
パーヴォ・ヤルヴィはエストニア出身の名指揮者ネーメの息子。彼は民族的叙事詩に基づく声楽つきの大作「クレルヴォ」の悲劇的な世界を、繊細な抒情性を軸としてデリケートに紡いでいく。氷の中で炎が燃えているような不思議なテイストを持った演奏だ。
ヴァージンが取り上げるとエストニアの音楽も何やらトレンディに見えてくるが、3人の作曲家の音楽のヘソをすくい取ってこのCD結構ホネがある。12音で神秘を武装したペルトやトリッキーなトゥールの音の裏にトゥビンの“民族”が影の様に貼り付く。
現在活躍中の、ネーメの息子パーヴォ(62〜)の新作。この演奏だけで今後のすべては占えないが、少なくともこれはいい出来だ。丁寧に響きを制御し、シベリウスらしいほの暗く透明な美しさを十分引き出している。(2)のクリンゲルボルン(S)も印象的な美声。
スメラはエストニアの作曲家。ペルトとは兄弟弟子。しかし作風はミニマルやジャズ、ロックなどを投入し、クロスオーヴァー的な現代的感覚で新鮮ないき方を示している。特にトライアングルの活躍する(1)と5楽章の大作(3)(エレキ・ギターも登場)が面白い。
レポ・スメラは1950年生まれのエストニアの作曲家。ペルトと同じくエレルに師事した。ここに収録されているのは1980年代に書かれた3つの交響曲。はじめの2曲ではミニマル・ミュージックの影響が顕著、第3番ではそこから脱して独自の作風を築きつつある。
プーランク前後の作品はすでに“現代”音楽のくくりがはずれているし、ナショナリズムの呪縛も解けて普遍性を得たことを実感させられたCD。62年生まれのヤルヴィ(ネーメの息子)と新生タピオラ・シンフォニエッタの演奏は若々しく、透明な響きが心地よい。